■ オーディオ・ノート ■

  1. ヴィンテージ・オーディオシステムのメンテナンス
  2. アルテック, I.P.C. & RCA
  3. Western Electricのトランスの話:WE618A
  4. 真空管の歴史:WE300Bの登場
  5. 真空管回路技術&トランスのお話
  6. Marantz社 & Saul B.Marantz氏


    (1)ヴィンテージ・オーディオシステムのメンテナンス


     ヴィンテージ・オーディオ製品の場合は、メンテにも気を付けなければなりません。
     私はアンプ類なら倉敷にある、「オーディオサミット」(TEL:086-434-2965)に お願いしています。
     ここのご主人自身、Marantz #1ユーザーで、岡山県内はおろか、九州や関東から も修理依頼があるそうです。
     ここで得たMarantz#5は、Marantz#1とのコンビで、未だにどんな他の組み合わせ よりも、我が家ならではのサウンドを聴かせてくれています。しかも九州・山梨間を往 復させたり、けっこうハードに使っているにもかかわらず、2年以上もノー・トラブル で、しっかり稼働しています。

     スピーカーの修理に関しては岡山市下伊福西町7-32の「リティルマネジメント」 (TEL:086-254-5109)や、広島市中区富士見町4番27号サンピアルネッサンス1階の(株) サウンドデン広島(TEL:082-249-7199)が有名ですが、これらのお店にお願いすると、 けっこうお金がかります。
     ただ、単にエッジの修復だけでなく、ボイスコイルのメンテをやってくれたり、細かな ところまで行き届いたメンテが出来るというのが強みです。

     素材としては耐久性が落ちるウレタンよりもセーム皮か合成ゴムが良いかと思います。
     ご自分で挑戦してみるのでしたら、ドットラボでは、ゴム系で修復する際の詳細な レポートがあります。
     秋葉原でしたら、コイズミ無線が、エッジの修復キットを扱っていますし、 ヒノ・オーディオ(TEL:03-3253-5221秋葉原駅から万世橋の公衆トイレの角を左に曲が ってすぐ)も自作派には嬉しくなるほどの品揃えで、もちろん、修復用のセーム皮も扱って います。

    Last update Nov.12.2000


    (2) アルテック, I.P.C. & RCA


    アルテック社は元々、ウエスタンとの関係が深い会社で、WEが子会社として、保守を中心に行 うエレクトリカル・リサーチ・プロダクツ社を設立。その後、さらにそのERPIのスタッフがオ ール・テクニカル・プロダクツ社を設立し、サービス部門の子会社として、さらにアルテック・ サービス・コーポレーションが創られ、1941年には有名なランシング・マニュファクチュアリ ング社を買収。アルテック・ランシング・コーポレーションとなって、ランシングらのチームに より、ボイス・オブ・シアターA5が作られました。

    その後、ランシングはJ.B.ランシング社を設立してアルテックを飛び出しましたが、アルテック社 はボイス・オブ・シアターの成功により軌道に乗り、WEの設備を譲り受け、1949年よりWEのア ンプやスピーカーの製造を開始します。
    1950年代に入りますと、アルテックは劇場用システムを本格的に開発するようになりますが、WE の優秀な社員がごそっと抜けてしまった当初は、独自のアンプの開発など出来るわけもなく、映写 機にはじまり、スタジオ部門にも手を伸ばしていたI.P.C.社と手を結ぶことになります。一説による と、I.P.C.がWEの社員を引っこ抜いて自社製品開発に当たらせたとも。映画産業の隆盛期にあった 当時としては、各社しのぎを削っていたと思われます。

    因みにI.P.Cは、映写機のメーカーのシンプレックス社とパワー社、アクメ(ACME?)社が合併して出 来た会社で、International Projector Corporationの略です。

    アルテックは1950年代に入るとWEのみならず、他社の劇場用システムのメンテナンスも行うよう になり、例えばRCAの映写機のプリアンプ部である、銘機の誉れが高いMI-9268なども手がけてい ますが、この映写機のプリアンプ部はRCA独自の開発ではなく、I.P.C.による設計とも言われていま す。これにはUTCのトランス、P-3356が使われており、これのみ単独でMCカートリッジ用の昇圧 トランスとして作り直した物が出回っていますが、WEの618Aと較べてワイドレンジできめ細かく、 フレッシュでみずみずしい感じがしました。

    当時のI.P.CはWEの高価なシステムを入れられない中小の劇場に映写機などを供給するほか、スタジ オ部門で急速に力をつけてきたAmpexなどにもOEM供給をしています。
    「I.P.C.はAmpexの設計部門だ」、なんておっしゃる方がいるくらいですから、Ampexともけっこう 結びつきが深かったと思われます。
    また、ウエスタンのライセンスでいくつか製品を作っていて、ちょうどソニーとアイワの様な関係で、 ウエスタンに作らせると高くつくので、安くてそれなりのレヴェルにあるI.P.C.がウエスタンの名前で 製品を作っていたという話もあるくらいです。

    ウエスタンはその内、パテント料で食っていくようになったため、実働部隊のアルテックやI.P.C.、それ にRCAなどが入り乱れて互いに持ちつ持たれつでやっていた様です。

    I.P.C.にはUTCのトランスを使ったAM-1065という素晴らしいラインアンプがあるのですが、レストア 用のパーツが残っておらず、入力トランス(P-3427)をMC用昇圧トランスとして使うという方法くらい しか、今のところ活用手段はないようで、残念でなりません。

    Last update Dec.12.2000


    (3)Western Electricのトランスの話:WE618A


    Western Electric(WE)社は、1878年イライシャ・グレイによって創設されました。このグレイは、 電話機の発明でグラハム・ベルに1876年2月14日、たった2時間差で敗れた人物で、後にWEはアメリカン・ ベル電話会社の製造部門として活躍。1897年にAT&T(American Telephone and Telegraph)に吸収合併 されます。
    AT&Tは当時は米国最高の頭脳集団と言われ、AT&TあるいはWE関連の特許や素晴らしい製品開発は数多く、 1912年プッシュプル増幅回路、1924年の電気録音方式、1927年NFB回路理論、1927年トーキー映画シス テム、1927年の555レシーバー、1928年世界初のステレオレコーディング、1931年テープレコーダー試作、 1932年300A,1934年86型300Aプッシュプルパワーアンプ、1936年594Aコンプレッションドライバー、 1937年91型300Bシングルアンプ、1951年接合型トランジスター開発、1957年45回転ステレオディスクの 開発など、オーディオの原点とも言うべき様々な基本開発研究を行っています。

    さて、この618Aトランスですが、元々はWE No.117-A typeのプリアンプなどで使用されていた入力トラン スで、30〜15,000Hzと、当時としてはかなりの広帯域を誇り、A typeは入力側のインピーダンス が30 or 250、出力側が50k、一般的に出回っている、B typeが出力側のインピーダンスがその半 分です。
    従ってAtypeの方がゲインが取れるのでMC用昇圧トランスとしては使いやすいかと思われます。

    WE No.92-B typeのパワー段の入力トランスの特性が、50〜7,000Hzだそうで、これは当時のト キー・フォト・セルが100〜6,000Hzだったことを考慮しての、帯域特性だと思われますが、それ から考えても、30〜15,000Hzがいかに広帯域だったかが、しのばれます。
    あのWE No.86Bでさえ、トータルの周波数特性が40〜15,000Hzだったりしますので、当時として は十分な帯域特性だったのでしょう。

    WEは元々、電話中継器をなど、通信関連を手がけていたため、いかに聴きやすい声を提供するかに 重点が置かれ、当時の技術では、たとえばUTCなど、その気になれば50kHzクラスの周波数特性の トランスを作れたそうですが、WEはトランス設計の段階に於いて、「帯域制限」の考えがあったと 当時の技術に詳しい小山内氏はおっしゃっております。

    インピーダンスに関しては、、SPUなどのロー・インピーダンスのカートリッジでも、受けるトラ ンスのインピーダンスがこのくらいなら、あまり問題にならないのではないかと思います。

    ちなみに618BはWE No.120-A typeや129-A typeミキシングアンプなど、様々な機器に使われて< います。

    6L6をパラプッシュにして、35〜15,000Hzの当時としては広帯域を誇る劇場用アンプWE No.118-A type Power Amp.が出たのが1939年ですから、このトランスは約60年前に現役だったと思われま す。

    Last update Dec.12.2000


    (4) 真空管の歴史:WE300Bの登場


    1920年代末から1930年代にかけては、真空管やそのデヴァイス、回路技術からその製品に至る まで、歴史的に非常に興味ある時代です。

    1927年イギリスのラウンドにより5極管が発明され、製品としてはマルコーニ・オスラムから PT625として発売されている他、フィリップス社からC643,D143などが発売されま したが欧州に遅れること2年。1931年に米国はRCAから5極管247が開発。1933年に同じ RCAから3極管の銘管2A3が発表。
    同年発表のWE No.46c typeに、WE-300として、300 typeが最初に使われました。

    これは205と211の中間にあたる特性で、さらに改良されて300AがNo.86 typeに、さら にこれをプッシュプルではなくシングルでの使用を念頭に入れ、高耐圧とした、ロック用ピンの 位置が違う300BがNo.91Aに搭載されました。

    ちなみにこの300B,最初はなんと電話中継用アンプの電源の電圧制御として使われ、その後、 高耐久性と素直な特性が注目され、オーディオ用に使われるようになったとか。

    300Bをはじめて搭載したWE No.86-A type Power Amp.の設計が1934.9.14だそうですが 1929年にはRCAから戦前最高と言われる245を用いたRE-45型電蓄「グローブ・トロッ ター」が発表され、その5年後の1934年には2A3をパラ・プッシュで使用して22Wの出力を誇る、RCAの エレクローラD-22型が発売されています。このRCAの電蓄D22とWE No.117-A typeプリ アンプのもう一つのウリは、ボリュームエキスパンダーという、狭い電蓄のダイナミックレンジを 広げるところにあったと言われています。

    英国では銘球PX-4が1929年に発表され、フェランティー社のトランスで組んだアンプFerranti Model AC 6 LF Amplifierは、PX-4のフィラメント規格がちょっと違うだけのLS5Aを使用 しているものの、40Hzが-3dBのギャランティー、12kHzが-1dBという驚異的なハイファイ・アン プでした。ちなみに1937に発表されたAC-6Cでは、何と20Hzが-0.5dBだったとか。
    同社のAF5Cパワー段入力トランスの周波数特性は20Hzから10kHzが+0.5dB〜−2dBに入ってい ることを考えると、我が国のオーディオファンは米国のWEやRCAについつい目が行ってしまい がちですが実は。イギリスの方が優れていたのかも知れません。

    Last update Dec.12.2000


    (5) 真空管回路技術&トランスのお話


    1929年という年は、真空管アンプの回路技術に関しても優れたものが発表されています。
    ロフティン・ホワイト直結増幅器というもので、電圧増幅段と電力増幅段をトランスやC・Rなどの カップリング・デヴァイスを使わずに直結としたことにより、音質がトランスやC・Rの呪縛から解 き放たれ、コストも抑えられると言うことで、人気を呼びました。

    しかし、電子部品の精度と信頼性がイマイチだった当時のこと、アマチュアにはもてはやされました がプロ用には1926年頃からR・C結合アンプがイギリスのアマチュアに端を発し、ようやく普及し てきた段階で、WE No.59ですべてトランス結合だったのが、No.86で段間トランスが一つ減ってR ・C結合になった程度でした。

    トランスを使用すると低域において時定数を1段、高域においては2段、つまり低域に於いては位相 が90度、高域に於いては位相が180度偏移します。R・C結合では、低域の時定数が1段、位相が 90度ズレてしまいます。そう言う意味では、トランスよりもR・C結合の方が、出来ればカップリ ング・デヴァイスなど無い方が良いわけなのですが、ところがどっこい、実際に音を聴いてみると、 帯域の狭い筈のウエスタンのトランスの奏でる音の、何と伸びやかで聴きやすく落ち着いていること か。

    電話の中継トランスとして作られた111Cに至っては、これをライントランスとして使った方が高 域も素直に伸びやかで、低域には芯があり、かえって帯域が広く感じられるほどです。本来ならノイ ズをカットし電話の会話を聴きやすくするために帯域を制限しているトランスの筈なのですが……。

    英国フェランティー社、米国WEにUTCそしてピュアレス社、フランスはピーバル社にドイツの テレフンケン……。
    「真空管アンプってのはね、トランスに一番お金をかけなきゃ駄目だよ。マッキントッシュやマラ ンツの音が良いのは、あれはトランスに金がかかっているからだよ」とおっしゃった大先達の言葉 が、今更のように思い出されます。

    現代でも音が良いアンプ、EAR861やC.R.ディベロップメンツ、そして国産のウエスギ・アンプ においても、トランスが十分吟味され、その性能を発揮されているからこそ、あれだけの音が出てく るのだと思います。

    また、1937年にはWEとAT&Tが共同設立したベル研究所のH.S.ブラックによるNFB理論が WEの91Aには使われていること、そのNFBを20dBほど使って超低域から超高域までフラット な周波数特性と、低歪率を誇ったウイリアムソン・アンプが1947年にイギリスの「ワイヤレス・ワール ド」誌に発表されています。

    Last update Dec.12.2000


    (6) Marantz社 & Saul B.Marantz氏


    Marantz社 & Saul B.Marantz氏
    記事
    1951 Saul B.Marantz(ソウル・B・マランツ)氏が36通りにイコライジングを変えられるモノラル真空管プリアンプ、Audio Consoletteを製作。これが友人達、 特にスタジオエンジニアの間で評判となる。
    1952 マランツ・カンパニーを設立。
    1953 Marantz model 1(Audio Consoletteにテープモニター機能を搭載)発売。
    1956 model 2:出力管 EL34。シドニー・スミス回路設計によるパワーアンプ発売。
    1957 model 3:モノラル2ウェイタイプのクロスオーバー発売。
    model 4:model 1 or 3 のパワーサプライを発売。
    1958 model 5:マルチアンプ用に開発、高域の歪みを低減したパワーアンプ発売。
    model 6:model 1用のステレオアダプタ発売。
    model 7:12月に管球式ステレオコントロールアンプ発売。12AX7を6本使用、RIAA規格の他、オールド78、オールド・コロンビアLP規格イコライジングも搭載。
    1960 model 8(A):電源部にシリコン整流器を使用。パワーサプライ付30W×2パワーアンプ発売。
    model 9:管球式モノラルパワーアンプ。出力UL接続70W×2,3極管接続35W×2発売。
    1961 model 8B:8Aのパワーサプライ部を省略、電源部を改良した35W×2パワーアンプ発売。
    1963 model 10A & 10B:FMチューナー。IF回路が異なる。エンジニアはリチャード・セクエラ。
    model 7T:初のソリッドステート・コントロールアンプ発売。
    1967 Saul B.Marantz氏、マランツ・カンパニーをスーパースコープ社に譲渡。
    1973 マランツ・カンパニー、米国内での製造を終了。当時スーパースコープ社が持ち株比率が50%だった日本の神奈川県相模原市に本拠を置くスタンダード工業株式会社 (※1)に製造ラインを移す。
    1975 スタンダード工業株式会社が日本マランツ株式会社に社名変更。
    1980 12月、米国スーパースコープ社がエヌ・ヴェー・フィリップス・グルーイランペンファブリーケン社(1994年5月フィリップス・エレクトロニクス・エヌ・ヴェーに社名変更)へ日本マランツ株を売却。以後、フィリップスの傘下に。
    1997 Jan. 17,1997 Saul B.Marantz氏、永眠。享年85歳。He was also a classical guitarist(チェリストでもあります), photographer, graphics designer, and collector of Chinese and Japanese art. だそうです。
    ※1
    スタンダード無線工業株式会社として1953年1月東京都世田谷区に設立。携帯ラジオ受信機の製造販売を開始。北辰興行株式会社として1946年5月10日設立、1961年10月に商号変更したスタンダード工業株式会社により、1962年2月吸収合併される。
    ※2
    日本マランツは、東証二部上場(1962年9月上場)額面50円、2000年現在、日本国内従業員は400人、平均年齢38.1歳。他に香港などにも子会社があり、50カ国、1600人以上の人間が働いている。

    ※その他参考資料
     プリ&メインアンプの内部構造、回路に関しては、「ステレオサウンド」別冊、「管球王国」の
     vol.11 & 12に「往年のマランツ管球アンプ・シリーズ」と銘打った特集があります。
     回路設計の特徴なども対談形式で説明してくれています。

    Last update Dec.9.2000


    Last update Jun.2.2001